●第二話 雷を捕らえた話

      【雷丘(いかずちのおか)】

 今から1500年ほど前、雄略天皇の時代の話。

 小子部栖軽(ちいさこべのすがる)という男がいた。神事に関わる仕事をしている一族で、天皇の随身で大切な役職にあった。ところが栖軽は、少々おっちょこちょいなところがあった。

 ある日、磐余(いわれ)宮に出勤した栖軽は、仕事の時間に遅れたと勘違い、あわてて参内し、天皇のお休み所まで入り込んでしまった。
 運悪く天皇は后と同衾の最中であった。「しまった」と声をあげた時には既に遅く、栖軽は天皇に気づかれてしまう。

 「何奴」と事を止め怒りに満ちた天皇は慌てて立ち上がり、栖軽に、 「神祇の職にある者が、予の寝所を覗き見るとはふとどき者」 と一喝。 折りしも外はかき曇り、突然雷鳴が響いた。
  憤懣やるかたない天皇はそれを見て、 「栖軽よ、あの雷神を捕らえてみよ。ならばそちの無礼を赦そうぞ。」 と言われた栖軽は、 「お呼びして参りましょう」 と応えるなり慌てて飛び出した。
  そんな無理難題を、と思わず簡単に承知してしまうところが栖軽の軽さでもあり、良いところである。

 さて栖軽は額に紅い鶏冠のようなものを付け、紅い旗の付いた剣を持って馬にまたがり、阿部の山田の前の道から明日香の豊浦寺を通り、軽の諸越(もろこし・橿原市大軽町辺りか)の町中まで来て、「天の雷神よ、天皇がお呼びだ。如何に雷神とて天皇の命に逆らう事はできまい。」と叫んだ。
  馬を返し豊浦寺と飯岡の間まで来たとき、空に雷が響き雷が落ちてきた。栖軽は神官を呼び輿の上に雷を載せて宮中に連れ帰った。すると雷は天皇の前で激しい光を放ったので、天皇は落ちたところへ雷を返し、お供え物をされた。

 やがて年を重ね栖軽は亡くなった。
  天皇は雷の落ちた場所に栖軽の墓を立て「雷を捕らえた栖軽の墓」と書いた碑を建てた。
  これを見た天の雷は怒り、雷鳴をとどろかせて墓に降り、足で碑を踏みつぶした。ところが運悪く、裂けた碑の間に足が挟まり、雷は動けなくなった。
 これを聞いた天皇は雷の足を外して助けたが、雷は七日七夜も動けずそこに留まっていた。

 その後新しい碑が建てられ「生きている時も、死んでからも雷を捕らえし栖軽の墓」と書かれた。
  これが雷(いかずち)という地名の起こりだという。


 ●この話は、八世紀末に南都薬師寺の僧・景戒によって書かれた仏教説話集「日本霊異記」の一番目に書かれている話を少し脚色したものです。この時代にすでに地名の起源が書かれているというのは興味深いところです。

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